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2年間浪人して美大に入ったと同時に、得たものと失ったものについて

絵の具 画材
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※当ページには広告が含まれています。

僕自身、美大受験をする上で2年浪人して入学しました。

現役生を含めると、3年間美大受験に向けてデッサンや学科の勉強をした事になります。

 

今でも時々思うのは、この浪人した時期というのは、自分の人生でも上位3つに入るくらい苦しい時期だったと思います。。

大学によってこの先の人生の大部分が決まってしまうものとその当時は思っていたので、死に物狂いで制作と勉強に励んでいましたね。

 

正直二度と同じような経験はしたくないと思うのですが、浪人生活によって得られたものとそうでなかったものについて、当時を振り返りながら記事にまとめてみました。

現時点で浪人生活を送っている方や、これから美大に進学しようとしている方にとって「美大浪人ってどんな感じ?」という事について知る機会となれば幸いです。

 

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美大・芸大は何浪して入るところ?

 

美大・芸大と言えば「浪人するのが当たり前」といったイメージを持たれるかもしれません。

特に、油絵や彫刻、日本画の学科は倍率が非常に高いので、現役生で受かるのはかなり優秀だと言えるでしょう。

ちなみに僕が受験した学科はデザイン科だったので、倍率は大体3〜12,3倍といったところでした。

 

最近は少子化の影響により倍率も下がっていると思いますが、それでも「美術系の大学というのは浪人して入るもの」というイメージが強いかもしれません。

僕自身2浪しましたが、同じ科の先輩も大体が2浪して入学してましたし、親の負担も考えると「これ以上は限界…」だと勝手に思っていました。

 

イメージ的には、デザイン系の学科は現役生〜2浪。絵画、彫刻系の学科は1浪〜3浪生で入学する人が多いイメージです。

ちなみに、聞いた話によると12浪した人もいるみたいなので、さらに上には上がいるものだと思わされます。笑

 

2年間浪人して得たもの

 

浪人期間というのは、今思うと特殊な環境だったと思います。

肩書としてはニートみたいな扱いでしたが、一応は受験生であるといったような感じです。

そういったどこにも属していないような期間を2年間過ごしてしまいましたが、個人的には良かった事も悪かった事もあったと思います。

 

メンタルが強くなった

 

浪人生活というのは、学生生活から一時的に解放された気分にはなりましたが、どこにも属していないという意味では非常に孤独だったと思います。

高校時代の同級生のほとんどは進学、あるいはそれぞれ進路を決めているにも関わらず、自分だけ一人取り残されたような感覚に陥りました。

浪人生時代は、大学に受かるための勉強に限らず、好きな作家の作品集であったり、大学に受かった後の事を考えながら勉学に励んでいましたね。

 

その後、1年浪人したにも関わらず、もう1年浪人する事になりましたが、その頃にはある種の達観した気持ちにさせられました。

もちろん、親に対する申し訳ない気持ちはありましたが、後から振り返ると浪人時代は精神的な修行のような期間だったようにも思えます。

2年浪人して入学したあとは、現役生、1浪生もいる中、2浪した身としては精神的に老熟したような感じでした。笑

2浪する事による苦労は伴いましたが、浪人することのメリットは精神的にタフになった事だと思います。

 

制作スキルが高まった

 

試験課題自体は現役生、1浪生と同じ課題が出題されるので、周囲よりも1〜2年分の経験値があるという事はある意味で強みだったと思います。

ディティール(細部)の詰め方であったり、アイデアや構成力といったものが浪人生時代に培われていったものだと思います。

このスキルというのは、大学に入学した後にも活かす事が出来ましたし、大学を卒業してしばらく経った今でも基礎力として身についています。

周囲よりもスタートが出遅れたとは言え、その間に身についた技術は一生物のように感じます。

 

作品に対する自分なりの軸が出来上がった

 

現役生の頃はまだ高校生だったので、「そもそも美大に進学をしてどうなりたいか?」という事すらイメージが出来ていませんでした。

現役生の頃に行った課内コンクールでたまたま優勝してしまった事はありましたが、その時ですらも自分がどういったものを作っていきたいのかが良くわかっていませんでした。

 

一方で浪人する事で、まぐれで評価が良かった現役生の頃と比べると、「なぜこの作品は良いのか?」といった具合に自分を客観視する事にも繋がってきました。

作品に対する客観性というのは、大学入学、卒業後も制作を続けていく上で大事な視点だと思うので、そういった意味では今でも役立っていると思います。

 

2年浪人して失ったもの

 

成人式に出なかった

 

一生に一度のハレの日であるにも関わらず、翌週にはセンター試験を控えていた為、成人式には出ませんでした。

最近は18歳で成人式を迎えるとの事なので、当時とは違いますね。

今でも時々「無理をすれば成人式出れたかも。。」と、頭をよぎる事はありますが、当時の自分としては「今年落ちたら3浪だ..」というプレッシャーもあり、泣く泣く成人式への参加を辞退しました。

地元の同級生らが参加したというのを耳にしましたし、「久しぶりに再会したらどんな話をしていただろうなと」そんな事を考える事もあります。

 

コミュ障になった

 

ほぼ二年間、予備校に通っていたとはいえ、週二日の授業でしたし、それ以外の日は基本的に誰とも話さずに受験勉強に励んでいました。

現役生の頃は一日に誰かしらと会話をする場がありましたが、浪人生活に馴染めなかった頃は、友人との交流はほとんどなかったですね。

 

家に引きこもるような日が何日も続くようになったせいか、いざ人と会話をする際にどこかぎこちなくなってしまったり、自分は何者でもないという負い目からか、ひたすら自分の殻に閉じこもる日々。

今だから言える事ではありますが、浪人時代の自分を一言で言えば「闇」そのものだったかもしれません。苦笑

 

大学に入学してしばらく経っても抜け切れず、同級生らとの交流も減り、課題をこなすために大学に通う日々。

同じ研究室の同級生らと話せるようになるまで、いくらか時間がかかった気がします。

 

親に迷惑をかけた

 

浪人時代というのは、上でも述べた通り鬱々とした日々を過ごしていました。

肩書としては「高卒」でしたが、通っていた高校は一応進学校だった事もあり、とても劣等感を抱いていました。

そして何よりも親に対しての申し訳なさというのが、浪人時代には常に付きまとっていましたし、大学の合格発表を見るまでそれはついて回るものでもありましたね。

 

美大・芸大は浪人する前提で入るイメージを持たれるかもしれませんが、実際に浪人を経験するとここまでメンタルを削られるのかと。。

もう一度同じ経験をしろと言われたら絶対に嫌です。笑

 

まとめ

 

自身の経験を交えつつ、浪人生活についてまとめてみました。

美大卒業後も制作をしながら生活をしていく事は大変かもしれませんが、この道に進んだ以上は自分で納得いく生き方をしていきたいものです。

【関連記事】

美大・芸大生の卒業後の進路について

 

浪人せずにストレートで大学合格するに越した事はありませんが、苦しい中でも夢に向かって頑張っている方に向けてエールを送りたいと思います!

 

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ABOUT US
小笠原英輝(Hio)ペン画家
東京を中心に活動しているペン画家です。当ホームページでは、絵の描き方だけでなく、インターネットを活用して生活していく方法について解説しています。 自分の好きな事で生きていきたい方、絵で食べていきたいと思っている方に向けて、有益な情報を心がけて発信しています。
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