自己紹介

空

初めまして。

ペン画家の小笠原英輝と申します。

僕の作品はこちら



僕は都内の美大を卒業後と同時に、制作活動を始めました。

その過程で様々な画廊で展示をさせてもらったり、作家活動を通じて人や知識・体験を得る事ができました。

このページでは、僕が画家になった経緯や、これまでの経験を元に作成してみました。

少しでも僕に興味を持っていただけると幸いです!

絵を描く事が好きだった幼少期

色鉛筆

まず初めに、僕自身に関する簡単なプロフィールについてご紹介します。

生年月日:1988年10月生まれ
出身大学:多摩美術大学
画風:ペン画
作家活動開始:2016年
趣味:ゲーム、漫画、散歩、動物園巡り

幼少期を遡ると、かなり昔の記憶を掘り起こすような感覚にさせられますが、元々絵を描く事は好きな少年時代を送っていました。

スーパーのチラシの裏やいらなくなった再生紙に恐竜や車など、自分が好きなものを手当たり次第描いていた記憶があります。

その当時は将来絵描きになりたいといった思いなどはなく、ただ純粋に絵を描く事が好きでした。

とはいえ、誰から学んだという事はなく、ほぼ独学で学んでおり、絵画教室に通う友達を横目に「羨ましいなぁ..」と、そんな子供時代を過ごしていた記憶があります。

特に母親は教育熱心な親だったのですが、書道や英語、水泳教室、公文式などには通わせてもらったものの、絵に関する教育はさせてもらう事は出来ていませんでした。

そんなある日、母親が好きなゴッホの有名なひまわりを観に行く機会があったのですが、僕自身、記憶が定かではないものの、「ゴッホのひまわりを見た」という記憶だけが今も鮮明に残っているほどです。

それだけ当時のインパクトが強かったのかもしれませんが、大人になった今でも朧げに覚えています。

とはいえ、ゴッホの絵を見た事が現在画家を始めたきっかけであるかと言われると、実のところ自分でも良くわかっていません。苦笑

ただ、もしかしたら無意識のうちに絵を描く事を生業とする運命にあったのかもしれませんね。

美大を目指して2浪した話

浪人生活を思い出そうとすると頭が痛くなるくらい辛酸を舐めた辛い時期だったように思えます。。

それくらい当時はとても大変な思いをして大学になんとか入学する事ができました。

高校2年生くらいになると、その後の進路について考えさせられる時期に差し掛かります。

ただ、その当時の自分の学校の成績は酷いもので、「今の学力では中堅大でも厳しいかもね」と、当時の担任の先生に言われるほどでした。汗


ちなみに通っていた高校は進学校で、生徒のほとんどが進学するという高校に通っていたのですが、学力が備わっておらず、本気で進路について悩んでいる時期でもありました。

高校2年生の夏頃になると、自分の好きな絵が描ける学校に進学したいと思うようになり、その頃に初めて美術予備校に通い始めるようになりました。

初めのうちは体験入学という事で、「基礎デッサン科」のデッサン講義を受けに行ったのですが、美術部に在籍していた経験もなく、おまけに石膏デッサンすら描いた事のない状態で受講したので、まぁ絵も酷いものでした。笑

そのくせ自分の絵には自信があったのですが、先生からは「よく美大に行こうと思ったね」などと言われたほどです。。


製図


その後、基礎デッサン科から建築デザインを学べる科に移るとなったのですが、高3の秋に行った課内コンクールの立体構成で優勝してしまい、当時はものすごい有頂天になっていたのを思い出します。(立体構成とは、紙や木材等を使って課題に沿った立体物を作るものです)

その一方で、写生の方が芳しくなく、下から数えて2番目といった結果だったので、お世辞にも絵が上手いとは言えない状態だったんですよね。。

それでも絵を描く事は好きでしたし、立体構成の成績も良かったので日本一の東京藝大を自信満々に受験し、見事一時落ちするという結果になりました。笑


その後も第一志望を東京藝大を目標に浪人生活を送っていましたが、浪人最後の年に「もう後がない」と思い、私大も受験したところ、いくつか受かった中で一番行きたい私立大学に進学する事ができました。

(試験日当日にトイレに篭ってしまうほど、その当時は精神的にも追い込まれていて辛かった・・・)

それでも、歯を食いしばって自分の出せる力を全て出し切ったおかげで試験に受かる事が出来たので、それが今の自分の基盤になっているのだとも思います。

この時の体験があったからこそ、今でも絵を描き続けていられるのだと思っています。

ペン画を始めたきっかけ

Phantasia

(学生時代に描いた卒業制作)

先ほども軽く触れましたが、僕が入学した学部は建築学部だったので、絵を描く事よりも設計やデザイン等について学ぶようなところでした。

とはいえ、美大の建築学部でもあるので、理系の建築学部よりもアート寄りでしたし、浪人時代に描いたデッサンや建築写生などが役に立っていました。

そんなある日、製図を描く際にに使う製図ペンでトレースする課題が出されたのですが、先生からの評価が高かった為、今思えばそれがペン画を始めるきっかけになったのかもしれません。

その後、大学の課題とは別にペンでの模写やペン画の制作をするようになり、自分が将来やっていきたい事がその時期にイメージされて来たように思えます。

もちろん、絵で食べていければ良いとは思いましたが、「どうやって絵で食べていくの」という言葉が頭の中を何度もよぎっていました。

それでも、浪人生活や大学生活で得てきた経験や知識を使って「表現者として生きていきたい!」という思いが強くなり、それが今も続く原動力となっています。

初個展をした時の話

初個展

(初個展時の会場風景。画質が悪いです..)

その後学部を卒業し、大学院に進学して今後の人生の方向を定めていこうと思っていた際に、学生時代に個人的に描いていた作品をSNSに掲載していたところ、画廊関係者の目に留まり、展示をする機会ができました。

学生時代は課題をこなすのに必死で、展示活動は出来なかったのですが、それをきっかけに作家活動を始めるようになり、活動を始めて2年ほどで個展を開催する事が出来ました。

自分は元々作家活動を始めたのが遅かったので、「30歳までに個展をやる!」という漠然とした目標を立てていたのですが、その夢も叶い、しかもその個展で初めて作品が購入されるという嬉しい経験もする事が出来ました。

そのような経験は今でも嬉しい気持ちにさせられます。

ですが、初めて絵が売れたからといって絵で食べていく為のビジョンができていませんでしたし、画風の都合上、量産できない作風だったので、正直不安もかなりありました。

その後、様々なギャラリーで展示をしたり、公募展に出展して賞を頂いた事もありましたが、アルバイトも続けながら気づけば5、6、7年と経過していきました。

作家活動を続けるも、挫折続きで華々しい活躍とはほど遠い…

作家活動を始める上で、どうしても「絵だけで食べていく」イメージが湧かなかったので、アルバイトを始めたり、制作時間を確保するためにブログやYouTubeを使って収益化をして画材の足しにするなどをしていました。

基本的には制作を中心とした生活を送っていたのですが、一時期はブログのみで月に10万円得ていた事もあり、かろうじて活動を続けられているような状態ではありました。

他にも、アルバイトや絵の収入もあったので、制作を続けられている状態ではありました。

ブログは一度構築が済んでしまえば、ある程度放置でも自動で収入を得る事が出来てはいたのですが、制作が忙しくなると手付かずの状態が続いてしまったりと、両立は難しいのだと思わされます。

(ただ、さすがに3ヶ月以上更新がされていないとアクセスも落ちてきますので、今思えばもっと上手くやれていればと思う事もあります。。)

当時はアクセス第一主義でしたので、上手く仕組み化させるまでには至らず、その点は今思えば反省点ではあります。

絵の方に関してはというと、ギャラリーでの原画販売に力を入れていたので、正直ほとんど収入は無いと言っても過言ではありませんでした。

また、年に一回の個展に加え、グループ展や公募展を合わせると年に7~8回の展示でしたし、売れる事もあれば一枚も売れない事もあったので、基本的にはほぼ赤字と言っても良いかもしれません。

それでもブログからの収益があったのでなんとか続けられていましたが、ここにきて新型コロナのパンデミックが起こった事もあり、活動が自粛されるといった事態に陥ってしまったのです。

マスクをつけている地球


この影響で展示が決まっていたものが無くなってしまったりと、活動する機会が無くなってしまった事に加えて、その時期に大企業がネットに力を入れ始めた事によってブログのアクセスも急激に落ち始めて二重のショックが重なってしまいました。。

その頃はなんとか給付金やアルバイトで食い繋いでいましたが、これまで以上に家計がピンチになり、アルバイトに時間を取られるあまり制作が出来なかったりと、正直かなり苦しかったです。

その後も高額な海外展示をする話が何度もDMで送られてきたり、表立って言えないような失敗をしてしまったりと、踏んだり蹴ったりな出来事もありました。

「貧すれば鈍する」ということわざの通り、精神的に追い込まれて考えがおぼつかないような状況が続くと、足元をすくわれたり、まともな思考が出来なくなってしまうのだと痛感させられました。

今思えば、「画家として生きていくのであれば、まずはビジネスモデルを確立しておく事!」と当時の自分に言い聞かせてあげたいものでもあります。

百貨店での個展開催

活動を続けていると、そこで知り合った人の紹介で展示をする機会を頂いたりする事もあります。

僕の場合、画廊では無かったのですが、都内の百貨店内にある呉服店の一角で個展をさせてもらう事が出来ました。

百貨店 個展

(百貨店での個展風景)

これまではギャラリーでの展示が主だったため、このような経験は初めてでしたが、今思ってもとても有難いお話だったなと思っています。

活動を続けていくとその分人の目にも触れるようになるので、そこでの人脈が出来たり、偶然足を運んだ方の目に留まって絵を購入してもらえたりといった経験をする事があります。

自分の目の届く範囲内での活動になってしまうと、どうしても視野が狭くなってしまいますが、人づてにこのような機会を得られた事は嬉しく思います。

初めて個展ができた際も嬉しかったですが、こうして活動に広がりが出てきた事は貴重な経験なのだと思わされます。

そこでは僕のことを知らない人が興味を持ってくれたりもしましたし、得るものも大きかったと思わされますね。

さいごに:このサイトを通して伝えたい事

ハートの風船

僕は美大を卒業してから絵の活動を続けてきましたが、正直言って順風満帆であったとは言えません。

むしろ沢山の失敗をしてきましたし、初めて絵が売れたのも、作家活動を始めてから2年以上経過してからようやく1点売れた程度でした。

また、それまでにお客さんから見向きもされない時期もありましたし、キツい事も言われた事もありました。

ですが活動開始から3年を過ぎると、徐々に人に知られるようにもなっていき、作品もポツポツと売れ始めてきましたし、お客さんから作品を褒められるようにもなってきました。

他にも、公募展で受賞する事が出来たりと、自分の作品が世の中に認められるようになった実感を持てるようになってきました。

「絵を描く技術」「絵で食べていく技術」は別物なので、「絵で食べていきたい!」と思うのであれば、両方をこなす必要があるのです。

その過程で上手くいった事もあれば、それの何倍も失敗や挫折をした経験があり、それが自身にとっても血肉となってきています。

このサイトでは、これまでの経験を元に、絵を描く上で必要な技法や、デッサン方法等についてまとめており、その上で画家として活動していく上で有益となり得る情報を随時更新していくつもりです!

これを読んでいるあなたが「デッサンの技法を学びたい!」「絵で食べていきたい!」といった思いがあれば、参考にしていただけると幸いです。

テキストのコピーはできません。