こんにちは。画家の小笠原です。
「マニエリスム」という言葉について耳にしたことはありますか?
美術をかじった事がある方はなんとなく聞いた事があるかもしれませんが、一般的にはあまり馴染みが薄い言葉かもしれません。
マニエリスムは、後期ルネサンスからバロック期への過渡期となる時代の事を指しており、この時代に活躍した画家は苦悩をしながらも新たな画風の模索に翻弄していました。
そこで今回は、そんなマニエリスムについてまとめてみました!
目次
マニエリスムとは?時代背景や意味について
マニエリスムとは何?
1500年初頭になると、ルネサンスの様式を模倣しながらも、故意に極端な比率の人体やねじれたポーズ、不安定な構図、フラットな遠近法、人工的な明暗などが絵画に取り入れられました。
これらの特徴によって、「ルネサンスの完成された様式や調和に従わない16世紀のイタリア美術」が「マニエリスム」と呼ばれます。
マニエリスムは、自然を忠実に写し取るルネサンスの方針とは異なり、ルネサンス様式に人工的な強調や歪曲を加え、自然を凌駕する美しさを追求しました。
マニエリスムはその後、他の国々にも影響を与え、17世紀までその影響が認められる国もありました。
このように、「16世紀イタリアのマニエリスムから発展した美術様式」もマニエリスムに含まれることがあります。
マニエリスム期とはいつの事?
「マニエリスム期」とは、一般的には「盛期ルネサンス」から「バロック期」への過渡期とされ、時には「後期ルネサンス」とも呼ばれます。
時代的には、約1520年から1600年までを指します。
マニエリスムの起源
「ルネサンス」という言葉は、スイスの歴史家であるヤーコブ・ブルクハルトが、自身の著書「The Civilization of the Renaissance」の中で初めて使用したとされています。
一方、「マニエリスム」を初めて使用したのは、イタリアの歴史家であるルイジ・ランツィ(Luigi Lanzi)と言われています。
その後、美術史家のジョン・シアマン(John Shearman)が1967年に再定義を行いました。
「マニエリスム」という言葉は、イタリア語の「マヌエラ(maniera)」に由来し、「様式」や「方法」を意味します。
ざっくり言えば、「マニエリスム」は「様式主義」を指します。
なお、マヌエラを美術用語として最初に使用したのは、マニエリストのジョルジョ・ヴァザーリです。
ルネサンスの画家たちは自然をありのままに描こうとする姿勢を「リアリズム」または「自然主義」と呼ばれます。
一方、マニエリスムの画家たちは、自然の模倣ではなく、ルネサンスの巨匠の様式を模倣したため、「様式主義」と呼ばれるようになりました。
また、「マニエリスム」という言葉には必ずしも良い意味が含まれておらず、「様式に縛られた模倣主義」という意味を持ちます。
さらに、マニエリストはミケランジェロやラファエロの追随者を指します。
※ただし、マニエリストたちは単に巨匠の模倣にとどまらず、独自の美学を加えることで、自然を凌駕する美しさを追求していました。
ルネサンス様式は、人間を中心とした古代ギリシアやローマから続く芸術の集大成でした。
その一方で、マニエリスム期は、より進んだ「個人の美的意識」が芽生えた初めての時代でした。
このような意味で、マニエリスム期は、「神の中世」や「人間のルネサンス」に続く、「個性の萌芽」が見られる非常に重要な時期となったのです。
マニエリスムの特徴とは
マニエリスムの特徴は、極端に長く描かれた首や四肢、奥行きが感じられない背景などが挙げられます。
ルネッサンス期に確立された「均衡」や「調和」を大胆に崩すことで、普遍的な「美」に迫ろうとする芸術家たちの挑戦でした。
異様に伸び縮みした状態で描かれた身体や、安定感に欠けた全体の構成は、見る人に不安や居心地の悪さを与えるかもしれません。
マニエリスムに至るまでの進化の過程
「自然主義」から「様式主義」へ
ルネサンスでは、「リアリズムと理想美の調和」を目指してきましたが、その目標は盛期ルネサンスにおいてレオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロの3人によって、ほぼ完璧と言える水準で達成されてしまいました。
その為、この時点でリアリズムという手法は完成されてしまったとも言えます。
この時代の若い画家たちは、完成された巨匠の様式を真似るために、彼らの作品をせっせと模写しました。
中には、ミケランジェロの自宅に押し入り、彼の作品を盗んで模写する画家まで現れる始末だったようです。
ルネサンスでは、自然をリアルに写し取ることを目標としていたのに、一旦ルネサンス様式が完成してしまうと、自然に学ぶのではなく、その様式を写し取ることにみんな躍起になっていったのです。
マニエリスムの始まり
ミケランジェロ曰く、模倣しているだけではオリジナルを越えることはできません。
それだけ当時の画家の競争は大変厳しく、ただ模倣してコピーを作っているだけで食べていけるほど甘くはなかったのです。
これは現代においても言える事ではありますが、オリジナルを追求するまでに血の滲む努力が必要だという事を思い知らされます。
それゆえ、若い画家たちは危機に立たされました。
激しい競争に晒されているにも関わらず、ルネサンスの目標であった「自然主義」は完璧に近いところまで達成されてしまったのですから、今後の目標が見えて来ないのです。
その結果、画家たちはミケランジェロやラファエロら巨匠が完成した「様式」を模倣しつつも、さらにそこへ独自の美意識に基づいた誇張を入れ始めました。
巨匠の単なる模倣から抜け出した最初のマンネリストは、フィレンツェの画家アンドレア・デル・サルトの弟子、ロッソ・フィオレンティーノ(Rosso Fiorentino)とヤコポ・ダ・ポントルモ(Jacopo da Pontormo)だと言われています。
彼らの作品は、師匠のデル・サルトのような典型的なルネサンス様式とは異なり、とても不安定な構図をしています。
1520年代初頭、ロッソはローマへ行き、そこで、ラファエロの弟子のジュリオ・ロマーノ(Giulio Romano)、ペリーノ・デル・ヴァーガ(Perino del Vaga)、ポリドーロ・ダ・カラヴァッジョ( Polidoro da Caravaggio)やコレッジョの弟子のパルミジャニーノ(Parmigianino)と出会いました。
若い画家たちは、ロッソの影響を受け、次第に自分の作品の中にマニエリスムを取り込んでいきました。
特にラファエロの再来と謳われたパルミジャニーノは、マニエリストとして素晴らしい作品を遺しています(ですが37歳という若さで夭折してしまいました)。
マニエリスムの片鱗は、若い画家だけでなくラファエロの「キリストの変容」やミケランジェロの「最後の審判」にも見て取れます。
これらの作品には、マニエリスムに特徴的な「不安定な構図」、「不定形な空間」、「曲がりくねり、引き伸ばされた人体表現」などが使われています。
「最後の審判」で描かれている人たちはみな筋肉質になってしまいましたね。笑
ローマで発達した洗練されたマニエリスムは、その後、1530年代から50年代にかけて活躍した次世代の画家たちに強い影響を与えました。
なかでも、ブロンズィーノ(Bronzino)はこの時代、フィレンツェで最も重要なマニエリストとなりました。
ブロンズィーノの作品の特徴は、藤田嗣治の作品に見られるような陶器のように滑らかな肌です。
フィレンツェ、ローマからヨーロッパ全土へ
1527年、皇帝カール5世の神聖ローマ帝国軍がローマに攻め入り、殺戮と略奪の限りを尽くした「ローマ劫掠(ごうりゃく)」が勃発しました。
これにより繁栄を極めたローマは崩壊し、「盛期ルネサンス」も幕を閉じる事となります。
その際に多くの芸術家は殺されてしまいましたが、難を逃れたマニエリスムの画家たちは外国へと避難し、仕事を求めてヨーロッパ全土に散っていきました。
なかでも、ロッソとジュリオ・ロマーノの弟子であるフランチェスコ・プリマティッチオは、1530年にマニエリスムをフランスに持ち込み、フォンテンブロー派の創始者としてフランス美術の発展に大きな貢献を果たしました。
16世紀半ばになると、マニエリスムは絵画や版画として中央ヨーロッパや北ヨーロッパへと輸出されるようになりました。
さらに、イタリアに画学留学してきた画学生たちによってヨーロッパ全土へと広がり、その結果、マニエリスムはゴシック以来の国際的な様式になりました。
1580年代になるとマニエリスムには陰りが見え、再度ルネサンスのようなリアリズムがもてはやされるようになりました。
その結果、新しい世代の画家たちによってバロック様式へと移行していきます。
マニエリスム作品を鑑賞するコツは?
ここまでの解説を読んで、「鑑賞者を不安に感じるような芸術のなにがいいの?」と感じる方もいるかもしれません。
ですが、その問題提起を鑑賞者に向けて発信することが、マニエリスム芸術を取り入れた画家や彫刻家の一番の意図だったとも言えるのです。
古代ギリシア・ローマの写実主義が4世紀後半のゲルマン民族の南下により失われて以来、1,000年の時を経て古典復興にたどり着いた15世紀のヨーロッパの人々にとって、ルネサンスにおける「写実主義」はある種の「正解」もしくは「美術が到達できる最高地点」として認識されていました。
そんな芸術の潮流で、美しい者同士を組み合わせてより美しいものを生み出そうというコンセプトの中で生まれたマニエリスム様式は「『美』とは何か?」という芸術家たちの問いかけでもあります。
まとめ
今回は『マニエリスム』についてまとめさせてもらいました。
前時代の「完成された美」からの脱却というのは、当時の画家にとって苦悩の連続だったと思います。
ですが、そういった中で新たな画法を模索し続けた当時の画家に脱帽させられます。
マニエリスムの作品を見て、心がザワザワするような居心地の悪さを感じるなら、それが作品を楽しむために最も重要な感性です。
美術館でマニエリスム様式の絵や彫刻に出会ったら、作品から伝わるアンバランスな不安感を楽しんで鑑賞してみてください!
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