こんにちは。画家の小笠原です。
古代ローマ時代に建てられた建造物の一つとして、「パンテオン」が有名な建築として挙げられます。
ギリシャのパルテノン神殿と名前が一部似ていますが、建造された時代や場所が異なるので一緒にしないように気をつけてくださいね。(学生時代の自分はよく間違えていました)
パンテオンは古代ローマ時代において重要な建築の一つでもある為、ローマに訪れる際は「行くところリスト」に入れておきましょう!
それでは、解説を始めていきたいと思います。
目次
パンテオンとは?
パンテオンは、古代ローマ時代に建てられた円形の神殿で、その名称はギリシャ語で「すべての神々」を意味します。
パンテオンは紀元前27年から紀元前25年にかけて建設され、その建築家は正確には不明ですが、マルクス・ウィプサニウス・アグリッパやアポロドルス・ダモスといった名前が挙げられます。
この建物は、八角形の基礎の上に円形の壁を持ち、高さ43.3メートルのドームが特徴的です。
ドームの内部には直径8.7メートルのオクルス(天窓)があり、天窓からの光が建物内に差し込みます。
パンテオンの外部には、16本のコリント式の巨大な柱があり、ファサードを支えています。
元々は古代ローマのすべての神々を祀るための神殿として建てられましたが、後にキリスト教の教会としても使用されるようになりました。
現在では、パンテオンはローマで最も有名な観光名所の一つとなっており、その壮大な建築と歴史的な重要性から多くの人々が訪れます。
パンテオンの特徴5選
以下はパンテオンの特徴を箇条書きでまとめたものです。
巨大な円形のドーム
パンテオンの巨大な円形のドームは、古代ローマ建築の傑作として知られています。
直径約43メートルのこのドームは、建築当時の技術的な驚異を示すもので、現代でもその優れた設計が称賛されています。
ドームは、コンクリートで作られ、内側には鉄筋が使用されています。
この建築構造は、円形の壁とドームが完璧に調和し、外部からの荷重を均等に分散するように設計されています。
また、ドームの上部には、直径約9メートルのオクルスと呼ばれる円形の天窓があり、これが建物内に自然光を取り入れます。
パンテオンのドームは、古代の建築の傑作としてだけでなく、建築史上の金字塔として称えられています。
16本のコリント式の巨大な柱
パンテオンの外観にある16本のコリント式の巨大な柱は、建物を支えるだけでなく、その壮大な姿を際立たせる役割も果たしています。
これらの柱は、建物の円形のファサードに沿って配置されており、各柱は高さおよそ12メートル、直径約1.5メートルあります。
コリント式の柱頭は、エレガントで複雑な彫刻が施されており、古代ギリシャの芸術に見られる特徴的なデザインを持っています。
これらの柱は、古代ローマ建築の力強さと優美さを象徴し、パンテオンの外観を飾る美しい要素の一部です。
円形の中庭と中央の天窓(オクルス)
オクルスは、古代ローマ建築の一つであるパンテオンの中央部に位置する天窓です。
直径約8.7メートルの円形の開口部で、建物のドームの頂点に位置しています。
オクルスから差し込む光は、建物内に自然光をもたらし、神秘的な雰囲気を醸し出します。
建築の中心に位置することから、古代ローマの建築家たちはこれを「眼」として考え、建物の全体設計に重要な役割を果たさせました。
この光の取り入れ方は、当時の技術の驚異として称賛され、パンテオンを訪れる人々に深い印象を与えています。
天窓から差し込む光による神秘的な雰囲気
パンテオンの天窓から差し込む光は、建物内に神秘的な雰囲気を演出します。
天窓からの光は、日中には建物内に美しい自然光をもたらし、空間全体を照らします。
特に、天候や季節によって光の加減が異なり、時間の経過とともに建物内の雰囲気も変化します。
また、天窓からの光は、建物内の壁や床に幻想的な影を投影し、空間全体に温かみや深みを与えます。
夜間でも、月光や星の光が天窓から差し込むことで、建物内に静謐な雰囲気が漂います。
このように、パンテオンの天窓から差し込む光は、訪れる人々に心地よい感覚や神秘的な体験を提供し、建物内の美しさと静けさを一層引き立てます。
キリスト教の教会としても使用され、歴史的な重要性がある
パンテオンは元々はローマのすべての神々を祀るための神殿として建てられましたが、後にキリスト教の教会としても使用されるようになり、その歴史的な重要性も特筆されます。
パンテオンは元々、古代ローマのすべての神々を祀るための神殿として建てられました。
しかし、後にキリスト教の教会としても使用されるようになり、ローマ時代から中世にかけての宗教的な変遷を示す貴重な証拠となっています。
パンテオンは、古代ローマの政治、宗教、文化の象徴として広く認識されています。
その壮大な建築構造は、古代ローマの力と栄光を物語るものであり、今日でも世界中から多くの人々が訪れる観光名所となっています。
パンテオンの内部には、古代から中世にかけての彫刻や美術作品が展示されており、これらは古代ローマ文化やキリスト教の歴史を学ぶ上で貴重な資料となっています。
パンテオンはローマ以外にも建設されている?!
実は、パンテオンはローマ以外にもいくつかの都市に存在している事をご存知でしょうか?
ただし、これらの建物はローマのパンテオンとは異なる構造や目的を持っています。
例えば、パリのパンテオンはフランスの首都パリにある建物で、ルイ15世の統治時代に設計されましたが、建設はその後に行われました。
パリのパンテオンは、古代ローマのパンテオンに触発されて設計されたものであり、その名前や構造は古代ローマのパンテオンに敬意を表していますが、異なる建築物です。
パリのパンテオンでは、フランスの偉大な人々や英雄たちが埋葬された名誉の殿堂として使用されています。
これは、古代ローマのパンテオンに触発されて建設されましたが、フランスの歴史的な人物や英雄たちが埋葬される名誉の殿堂として使用されています。
また、ローマ以外にも、パンテオンという名前の建物が存在しますが、これらはローマのパンテオンとは異なる機能や構造を持っています。
例えば、アテネには「アテネのパンテオン」と呼ばれる建物がありますが、これは古代ギリシャの建築物であり、アテナ女神を祀るための神殿でした。
現在は遺跡として残っていますが、ローマのパンテオンとは異なる建物です。
パリのパンテオンにはナポレオンが埋葬されている?!
パンテオンとナポレオンの関係には興味深い歴史があります。
ナポレオン・ボナパルトは、フランスの皇帝であり、1804年にフランス第一帝政を樹立しました。
彼は多くの改革を行い、フランス革命の理念を発展させ、フランス帝国を支配しました。
その一環として、ナポレオンはパリのパンテオンに関わりました。
パンテオンはもともとルイ15世の命で建設され、聖人たちの骨を収めるための教会として設計されました。
しかし、フランス革命後、ナポレオンはパンテオンを国家の栄誉を称える場所として再定義しました。
ナポレオンはパンテオンに名誉の殿堂としての役割を与え、フランスの偉大な人物や軍人の遺体を埋葬することを決定しました。
その中には、彼自身の側近である将軍や科学者、文化人などが含まれており、ナポレオン自身もパンテオンの一角に埋葬されることを望みました。
しかし、彼の死後、パリのセーヌ川のほとりにあるホテル・デ・インヴァリデスに埋葬されました。
その後、彼の遺体はフランスによってエルバ島からフランス本土に移され、現在はパリの「ヴァリデールの墓地」に眠っています。
そのようにして、ナポレオンはパンテオンの歴史に名を残すことはなかったものの、彼の影響はフランスの歴史と文化に深く刻まれています。
まとめ
今回はパンテオンについてまとめさせてもらいました。
パンテオンは古代ローマ時代に建造された建築物として有名ですが、後の時代にパリやアテネなど各地で建設されたのは興味深く感じられますね。
それでは、今回はこの辺で失礼します。
ではでは。
✅ 電子書籍『ペン画技法解説書』
✅ メール講座『絵の描き方』
✅ デッサン道具の知識
✅ アートで生きていく為の入門書
✅ メルマガ読者特別プレゼント
など、以下より受け取る事が出来ます。
⇩ ⇩ ⇩