こんにちは。小笠原です。
美術に興味がある方であれば、「ルネサンス」という言葉を一度は聞いた事があるかもしれません。
ルネサンス時代に輩出された芸術家は、後世にも残すほどの巨匠が誕生し、現代において今なお語り継がれるほど名画の数々が生まれました。
そこで今回は、芸術文化が花開いたルネサンス期についてまとめさせてもらいました!
目次
ルネサンスとはどんな時代?
「ルネサンス」は、14世紀から17世紀初頭にかけてヨーロッパで起こった文化的・芸術的な運動を指します。
この時期は中世から近世への移行期であり、文芸復興とも呼ばれています。
ルネサンスの特徴の一つは、古代ギリシャ・ローマの文化や知識に対する「再発見」と「再評価」です。
中世ヨーロッパではキリスト教中心の社会が形成されていましたが、人文主義と呼ばれる学問の流れが興り、人間中心の視点や個人の自由が重視されました。
芸術方面では、リアリズムや透視図法の発展が見られ、彫刻や絵画においても人間の美や自然を追求する動きがありました。
また、科学や技術の進歩も目覚ましく、天文学や解剖学の研究が盛んに行われました。
ルネサンスはイタリアを中心に始まりましたが、その影響はヨーロッパ全体に広がりました。
特にフィレンツェやヴェネツィア、ローマなどの都市が文化の中心地となり、芸術家、学者、思想家たちが活躍しました。
ルネサンスの精神は現代にも続き、人間の知性や創造性を称揚する価値観は今日の文化や社会にも影響を与えています。
ルネサンス時代の特徴
ルネサンス時代は、西洋美術史を語る上で「神様中心」から「人間中心」へと変わる時代の転換期となりましたが、社会だけではなく芸術分野においても反映されるようになりました。
ここでは、ルネサンス時代の特徴について触れていきたいと思います。
古典復興
ギリシャ神話において、個性豊かな特徴を持つ神様が存在していました。
キリスト教においては一つの神様を信仰し、その教えが真実であると考えられていましたが、個性を強く持っていたギリシャ神話の神様のように、「何かを表現するということは素晴らしい」と考えられるようになったのです。
人間中心の思想
キリスト教中心の社会では、個人の考えや信念は二の次で、何をするにおいても、まずは神様が第一に優先されるべきと考えられていました。
ルネサンス期に差し掛かると、「自分らしさ」であったり、「自分が物事を決めて行動する」といった考え方が素晴らしいと考えられるようになったのです。
絵画に遠近法が使われるようになった
絵画においては、今でこそ当たり前に使われている「遠近法」が使われるようになったのがこのルネサンス時代となります。
それまでは遠近法が確立されておらず、平面的で空間表現が乏しい絵画が主流となりました。
空間表現自体はルネサンス時代初期に活躍した画家ジョット・ディ・ボンドーネ(1267頃〜1337)によって生まれていたものの、その時点ではまだ正確性という点においては確立されていませんでした。
それから約100年後にイタリアのフィレンチェで活躍した建築家フィリッポ・ブルネレスキによって、「線遠近法」が発明されました。
この発明が元となり、後の世代のレオナルド・ダ・ヴィンチによって「一点透視図法」を用いた空間表現が確立される事となったのです。
遠近法による立体感の創出
中世ヨーロッパまでの絵画表現では、陰影表現が弱く、平面的な絵画であるといった特徴が見受けられました。
それから透視図法や遠近法が確立される事で、絵画の中に空間的な奥行きを表現する事が出来るようになり、写実的な絵を描く手法が確立されました。
絵画における感情表現
作品のテーマを「人間」に焦点を当てる事で、絵の中の登場人物の感情を表現する事が出来るようになりました。
中世ヨーロッパにおいては、人間の感情表現というのはタブー視されていた事もあり、登場人物の感情が分からないような無表情な人たちが描かれていました。
それが一変して人間にフォーカスされるようになった為、人々の感情表現が描かれるようになってきたのです。
メディチ家の貢献
ルネサンス芸術を語る上でメディチ家の存在なしに語ることは出来ません。
メディチ家は、ルネサンス期のイタリアで最も影響力のある名家の一つでした。
15世紀から16世紀にかけてフィレンツェを支配し、政治、経済、文化の面で大きな影響力を持ちました。
彼らはメディチ銀行家として財を成し、その富を元にフィレンツェの支配権を確立しました。
特にコジモ・デ・メディチやロレンツォ・デ・メディチなどの名前がよく知られています。
メディチ家は芸術や文化のパトロンとしても有名で、後ほどでも紹介しますが、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロなどのルネサンスを代表する後に三代巨匠と呼ばれる芸術家らを支援しました。
その後、教皇庁との結びつきを強め、教皇庁の要職を獲得することで政治的影響力を拡大しました。
しかし、メディチ家はその後没落し、1532年に最後のメディチ公が没するとフィレンツェの支配権も失いました。
それにもかかわらず、メディチ家の遺産はイタリア・ルネサンスの黄金時代における重要な要素であり、その影響力は今日まで続いています。
ルネサンス時代を代表する人物&3大巨匠
ダンテ
ダンテ・アリギエーリ(1265年 – 1321年)は、イタリアのフィレンツェ出身の詩人であり、イタリア文学の巨匠として知られています。
彼の最も有名な作品である『神曲』は、中世ヨーロッパ文学の最高傑作の一つとされ、イタリア語の基盤を確立し、文学界に革命をもたらしました。
『神曲』は地獄、煉獄、天国の三部構成から成り立ち、人間の罪と贖罪、そして神の至高の愛について描かれています。
彼はまた、政治的な詩作も手がけ、フィレンツェの政治情勢に大きな影響を与えました。
しかし、ダンテは故郷を追放され、生涯を放浪しながら書き続けました。
彼の詩作は中世の宗教的な思想と哲学を結びつけ、当時の文化と宗教の融合を示しました。
ダンテの作品は後の時代にも多大な影響を与え、彼は文学界の偉大な先駆者として尊敬されています。
その詩の深さと美しさは、今日でも読者を魅了し、研究者や芸術家に多大なインスピレーションを与えています。
レオナルド・ダ・ヴィンチ
レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452年 – 1519年)は、ルネサンス期のイタリアを代表する多才な天才です。
ダヴィンチは画家、彫刻家、発明家、科学者、数学者、技術者として知られ、その多岐にわたる才能と創造性で世界中に影響を与えました。
彼の最も有名な絵画作品には「モナ・リザ」や「最後の晩餐」がありますが、それだけでなく、彼は様々な分野で先駆的な業績を残しました。
彼は解剖学の研究を行い、人体の構造を詳細に記録しました。
さらに、飛行機の設計や水力学の研究など、多くの発明にも取り組みました。
ダ・ヴィンチの作品はその緻密な観察力と科学的な好奇心によって特徴付けられており、芸術と科学の融合を示唆しています。
彼の手稿やスケッチは後の世代に多大な影響を与え、彼は近代の知識人として永遠の名声を勝ち得ました。
レオナルド・ダ・ヴィンチはイタリア・ルネサンスの頂点に立つ人物であり、その業績は現代においても広く称賛され、彼の芸術と科学への貢献は不朽のものとなっています。
ミケランジェロ
ミケランジェロはルネサンス期のイタリアで活躍した彫刻家、画家、建築家であり、その作品は世界的に称賛されています。
代表作には「ダビデ像」や「ピエタ」、「最後の審判」などがあります。
特に、バチカン宮殿のシスティーナ礼拝堂の天井画は驚異的な技量と壮大なスケールで知られています。
ミケランジェロの作品は力強く感情豊かであり、彼の革新的なアプローチは後世の芸術家に大きな影響を与えました。
彼はまた建築家としても成功し、サン・ピエトロ大聖堂の設計などでその才能を発揮しました。
ミケランジェロの芸術は不朽の名声を築き、世界中の美術館や教会で多くの人々に愛されています。
ラファエロ
ラファエロ(1483年-1520年)は、ルネサンス期のイタリアを代表する画家であり、特に高い評価を受けた一人です。
彼の作品は卓越した技術と美的感覚に満ちており、「アテネの学堂」や「聖母子像」などはその代表例です。
ラファエロはウルビーノで生まれ、ウルビーノ公の宮廷で初めて絵を学びました。
その後、フィレンツェやローマで活動し、特にローマでは教皇ユリウス2世の庇護を受け、多くの作品を制作しました。
彼の作品は古典的な理想化された美しさと調和に満ちており、その影響は後の時代にも広がりました。
ラファエロは当時37歳と若くして亡くなりましたが、その短い生涯の間に数多くの作品を残し、イタリア・ルネサンス美術の黄金時代を築いた画家として称賛されています。
まとめ
今回は、ルネサンス時代の特徴と代表する人物についてまとめさせてもらいました。
この時代は芸術文化が花開いた事もあり、美術史を知る上でも重要な時代と言えます。
当時の時代背景を知る事で、その時代に求められている芸術が分かってくるのも興味深いですね。
それでは、今回はこの辺で失礼します。
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